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"Lemon Wheel Tee"
¥4,500
“Lemon Wheel Tee”は、White Out Bike Studioが世に出す、最初の複製された劇物だ。これをなにかの彫刻として、かつて存在した80年代終わりの熱狂と今年の夏を重ねてみたい。 今日は2023年9月1日だ。「夏の仮設的な終わり」である8月31日を過ぎた。 予言するが、今年の「夏の”決定的な”終わり」は、かなり断面的にやってくる。 季節が変わるときに我々に平等にもたらされる感傷や焦燥、のような生半可なものは今年は存在しない。 おそらく今まで誰もシラフでは感じたことのない、バツっとした感じだ。秋になるのではなく、ただただ夏が終わる。いまはそこで待っている夏の終わりまで、わたしたちは踊り続けるしかない。そして急激に決定される時空間の変異に、心身が歪められるだろう。それは避けては通れない。 1980年末に発生したその音楽的な時空間が「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と名付けられたのはその渦中だったのかそれ以降のことなのかを、1991年生まれの私は知ることはできない。しかし、マンチェスターで発生したマッドチェスタームーブメントを中心とするその熱狂は、歴史上の出来事である以前に、ある種の現象として語られ、人々をノスタルジーの彼岸へとつれてゆく。もう起きない熱狂、確実にあったはずなのに得られることのできない快楽。 セカンド・サマー・オブ・ラブを牽引した要素のひとつがドラッグだったとしたら、今年の夏はドラッグ的な要素が相乗しまくっていた。以下の2点のドラッギーな要素において、80年代末のマンチェスターと2023年の東京はレイヤーする。 要素1.呼吸もできなくなるほどの暑さ。 ……酷暑だった。”要素2”で書くが、それを実感する機会が今年の夏は多かった。「暑くて嫌になりますね」という会話が、社交のためではなく、そして季語的な詩的要素も介入せずに、空間に滞在していた。それは我々に平等にもたらされた接続詞だ。「暑くて嫌になりますね」ということが人々を繋ぎ、団結せずとも私達は共通してしまっているということを認識させた。「渦」であった数年が産んだ断絶を、皮肉なことに、不快感が繋ぎ寄せた。 要素2.すべてが「4年ぶり」であること(あるいはインスタグラムによる「他人の夏」の過剰摂取) ……そして「渦」が開けた祝祭ムードによって、不快感がもたらす共通はハレの快楽に転換した。祭や花火大会といったドアを開ければすぐそこにある祝祭から、フェスの開催まで、わたしたちはそのハレのすべてと繋がらざるを得なかった。体験としてそこに足を運んだ場合。要素1の酷暑に自らを放り込み、その場にいる人間と不快感とハレの高揚を共有する。言語的に交流がなかったとしても、わたしたちの頭上には「暑くて嫌になりますね」から始まる無言の会話が存在している。つまり、自分の夏が「4年ぶり」であったかどうかは、本当にさしたる問題ではない。インスタグラムという窓によって潜在的に刷り込まれ続けた他人の”「渦」ではない夏”は無言の「暑くて嫌になりますね」によって、身体、時間、空間を振動させる。 以上の要素から、この2023年の夏はドラッギーであったが故に、その効能とともに終わる。だから私は冒頭で、季節が終わるのではなく、バツっとした感じで終わる、と言ったのだ。そしてドラッグやメディスンと決定的に違うのは、「この感じ」を再び味わうまでに、少なくとも1年は待たなければいけないという点だ。それが故に、わたしたちは確実に、この夏をひとつの断面として見るだろう。 ——— つまり、私が言いたいのはこうだ。 サマー・オブ・ラブが音楽やドラッグといった多幸感によって人々が繋がった刹那的なムーブメントだったとしたら、2023年の夏は不快感とハレによる開放という双極的な要素によって人々が「繋がらざるを得なかった」、久方ぶりの夏だったということだ。 このTシャツは、そのセカンド・サマー・オブ・ラブの中心にあったザ・ストーン・ローゼズを象徴するレモンのアートワークを拝借した。 ”I Wanna Be Adored”,「憧れられたい」と、イアン・ブラウンはファーストアルバムの一曲目で歌った。 インスタグラムによって憧れられ、憧れ、を繰り返していくうちに夏に取り込まれてしまったあなたをふくめた私たちへの供物であり、劇物だ。 スペインはイビザ島から持ち帰ったレコードは2枚の対となり、マンチェスターでDJによってプレイされた。 自転車のホイールもまた、あらゆる季節を走る2枚の円形であり、身体を高揚させるものだ。 願わくば、来年の夏もまた、不快でありますように。 モデル身長162cm/着用サイズL 受注期間:9/1(火)〜9/14(月)0:00 受注期間終了後一週間前後での発送となります。
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(受注生産)怠惰な三大欲求T
¥4,000
SOLD OUT
私達には、生存の欲求と死の欲求がある。そして、その狭間には様々な欲求がある。 私達はそれを様々な工夫によって満たしたり、あるいは満たせないことで不満を感じたりする。 このTシャツは、「それでも私達は欲求を満たし続けることでしか日常生活を送ることが出来ない」という、ある意味で諦めにも似たものが書かれている。 しかし、それでも私達は生きている。生きていることが欲求に突き動かされていることだとすれば、規則正しくない生活も、ジャンクフードも、相手なき性欲も、否定も肯定もされることなくそこにあっていいものなのではないか。 ※受注期間:7/31(月)22:00〜8/7(月)0:00 受注期間終了後一週間前後での発送となります。
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ウイスキーと筆箱
¥7,000
レーザープリント / A1 / 2022年 / ED.10
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有楽町
¥10,000
レーザープリント / A1 / 2014年 / ED.5
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新宿駅山手線ホーム
¥7,000
レーザープリント / A1 / 2022年 / ED.5
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小田急百貨店入り口
¥15,000
インクジェットプリント・パネル / A4 / 2022年 / ED.1
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東中野駅大江戸線乗り換え階段
¥15,000
インクジェットプリント / A4 / 2023年 / ED.5
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代官山駅急行通過待ち
¥15,000
インクジェットプリント / A4 / 2023年 / ED.5
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旧東急百貨店前歩道橋
¥15,000
インクジェットプリント / A4 / 2022年 / ED.5
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定食屋
¥20,000
インクジェットプリント / A3/ 2022年 / ED.5
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渋谷
¥20,000
インクジェットプリント / A3/ 2018年 / ED.5
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Sigh 2023年5月号 「都市のモキュメンタリー」
¥1,500
SOLD OUT
Sigh 2023年5月号 「都市のモキュメンタリー」 A5 50ページ カラー 内容… 「掌編・指」 「不眠日記」
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youheyhey never DIE!
¥3,500
SOLD OUT
今年の夏も死ななかった人へ 「去年ってこんなに暑かったっけ」と毎年言ってる気がする。 今年も言った。そしてそれはいま過去になった。 この時期には魔物が潜んでいると思う。 晩夏でも初秋でもないこの時間、自分が未来と過去に引っ張られているような感覚を覚える。 夏の思い出はまだ甘ったるいものに熟し切っておらず、秋の切なさに心を尖らせるほど風は冷たくない。 「生きるのってこんなにアレだったっけ」とたまに思う。 人には死にそうになる時がある。 死にそうな時、というのも、死ぬことと生きることの間で引き裂かれそうになっている状態だ。 自分も一度経験したことがあるが、あれは本当にしんどい。 この”夏と秋”、”生と死”みたいな、「あちらでもなくこちらでもない」感覚を常に覚えていると、シンプルに疲弊する。 話を大きくする。 ここ数年、伝染病が蔓延する前の世界と、それが落ち着いたあとの世界の間で疲弊している。 「夜ってこんなに早かったっけ」とか「街にいる人の顔ってどんなんだったっけ」とかだ。 徐々に以前のようになっていますね、と与太話をしているわけではない。以前にもどってたまるか。かといって、みんなが願っている未来に近づいているわけでもない。 この3つには共通点がある。 クソみたいに暑い夏はまたやってくるし、人は死ぬし、未来は明日にはやってくる。 「こんなんだったっけ」と思いながら、時間は循環をしているように見えて手に負えないくらいチマチマと未来に変わっていっている。今の自分はそういうふうに、ただただ過去と未来に挟まれているだけだ。 極端にシンプルに言えば、ただそこにそれがあるだけ、ただそこに自分がいるだけ、だ。 ここからが本題になる。 過去に作られたものを今に流し込みながら生きている。 未来に向かって生きている人間なんかいない。ほとんどの場合で、未来も過去と同じく、勝手に自分の中に入ってくる。 映画を見たり音楽を聴いたり本を読んだりしている。それらは過去に作られたものだ。音楽を聞いているとき、俺たちは過去の音を聴いている。俺は古着を買うが、それも過去に誰かが選び、着、そして売っぱらったものだ。 今という時間は存在した瞬間に流れていく。それは時間が全て過去になるという話ではなく、未来に向かって投げられていく今というものもある。 これらを都合よく解釈してみると、今というのは、過去と現在のリミックスだともいえる。 リミックスだとすれば俺たちがやるべきことは簡単で、どうやって今というヤバいものを自分に向かって食らわせ続けるかということに全力を注げば良いのだ。 過去は固着しているものではないし、未来は輝いているものではない。でもその時間の中にあるものを勝手にサンプリングして、引き伸ばしたり組み合わせたりして、今を作ることはいくらでも可能だ。 「去年ってこんな暑かったっけ」と言っているタイミングで作ったこのTシャツがヨウヘイヘイの曲を触発し、誰の手に渡ることなく誰にも知られずに未来になり、その未来は俺たちにとっての過去になった。それが今これを読んでる誰かの未来になる。 今という過去と未来のリミックスは常に俺たちを生かしてくれる。 Tシャツは誰かに着られ、すぐに半袖の季節は終わり、タンスで眠り、時間から忘却されるが、また来年引っ張り出されるかもしれない。ヨウヘイヘイの曲は誰かにとってのクラシックになるかもしれないし、真新しい衝撃として誰かの景色に添えられるかもしれない。 これが俺この夏、俺たちに食らわせた今という時間の産物だ。完全にリリースのタイミングが半袖のシーズンさらズレているが、あちらでもなくこちらでもないところにいる、今年の夏も死ななかった2人の足並みは完全に揃っていた。 そんな俺たちが、これを読んでいる、それを聴いてる、あれを着ている誰かの今に食らわせる。 是非、今生きている場所で着て、聴いてほしい。 追記 モデルをやってくれた石山蓮華は俺の大学の友達で、俺が一番出たいテレビであるタモリ倶楽部に出ていたりして、本も出してて、なんかいろいろ連載も持ってて、正直かなりムカつく。嫉妬している。羨ましい。 その裏にある確実な努力を積めるポテンシャルが羨ましい。あなたのようなバイタリティになりたい。 己の弱さ脆さを引き受けつつも未来を自分に注ぎ続けてるスタンスと、このyouheyhey never DIE!に共鳴を感じて、今回もオファーさせてもらった。いつも快諾してくれてありがとう。 ※9/30までの受注、その後に生産、発送となります。 ※原則としてサイズ違い以外の返品は承っておりません、予めご了承ください。 ※ご注文より一週間以内のお振込みをお願いしております。 ※ご注文の際は必ずご希望サイズを明記ください。 size 着丈 身幅 S 68cm 45cm M 71cm 50cm L 73cm 57cm XL 77cm 60cm モデル身長175,161 着用サイズ XL
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ZINE"Construction Composite Compromise "
¥1,000
SOLD OUT
Construction... 〔概念や体系などの〕創出、創成、創生,〈話〉〔あるものの〕解釈、説明 Composite... 各種の要素から成る、合成の、混成の、合成写真[画像]の Compromise 譲歩、妥協(案[策]) どこかにある、どこにもない、もう存在しない、明確な時間と時間の間に存在していたものを混成させることによって生成できる何かがある。Instagramの小さい画面では、私はそれを制作することは難しかった。 これを手にとってくれた人の部屋の中に、この前向きな妥協の産物によって、景色が現れて欲しいと思う。 42ページ フルカラー A5版
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look back hoodie
¥5,500
SOLD OUT
「いま」を言葉にするのは難しい。 いま、とはいつだろうか。私はこの文章を2021年12月2日の19時に、吉祥寺のルノアールで書いている。これは間違いなく「いま」なのだろう。2階席なので、眼下を往来する人々の様子が見える。人々はマスクをして歩いている。見慣れた光景だ。見慣れてしまった光景だ。これは、2020年の3月に人々がマスクをつけ出したときから続く「いま」なのだろうか。いつ終わるとも思えないいまが続いている。 言葉にするのが難しいと言いつつも言葉にしたいという気持ちは強い。今とはどのような時代なのかということを言葉にしたいと、ずっと同じことを考えている。 そういう思いを持って書店に行くと、「いま」についての本が並んでいる。みんな私と同じように今を理解したいのだろう。この曖昧な時間、あるいは曖昧であり、いつか終わってほしいと願う時間に「いま」という区分が欲しいのだろう。 服を作る時にいつも考えていることがある。それは「これはメディアだ」ということだ。言葉や図案がそこにはあるが、そこには多数のいまが含まれるようにしている。服は残る。1年で捨てられてしまうかもしれないが、10年後にも誰かの手元にあるのかもしれない。少なくともこれが誰かに着られているその場、その時に、「いま」がそこに現れるようなものを作りたい。だから僕は基本的には言語に頼りつつも、頼りきれない部分をメディア=入れ物として、たまに服を作る。 今回のパーカーは、月曜日と金曜日、そして過去についての入れ物だ。私たちは月曜日と金曜日で区切られた時間を生きている。会社に勤めているからとか社会がそう規定しているからとかではなく、そういうふうにして連続してしまう時間を生きている。 区切られながら続いてる時間、分断されながらも進んでいく時間の中で、毎週何かが変わり、ニュースサイトを見るのが嫌になったり、でも今何が起こっているのかを知りたくなったりする。 そして「いま」に対して怒りたくなるときがある。でも怒りたくない。どうにかしたいのだ。月曜日が憂鬱でも金曜日はハッピーで、その繰り返しが単なる反復にならないように、生きていたいのだ。 悲しいことがあって、人がたくさん死んで、出口が見えない平日のような日々が続いていって、でもそれぞれの平日の中にも喜びはある。遊び呆けていたくもない。誰かから提示された"興ぜよ"と提示された土日のようなオリンピックで溜飲を下げたくない。感染者数が減ったことでノスタルジーの彼岸にある「かつての日常」を取り戻すような労力をはらいたくない。 なぜなら私たちの「いま」はわたしたちが月曜日と金曜日繰り返しの中で獲得したいまだからだ。私たちはマスクをしながらいまを過ごしている。やり過ごすのではなくただ「過ごす」ことによっていまを生きなければならない。 そういった今の私の願いが10年後にも残ることを祈ってこのパーカーを作った。 Model:石山蓮華(https://instagram.com/renge_ge?utm_medium=copy_link) モデル身長:161cm 着用サイズ:M ※2021年12月19日までの完全受注生産、その後の発送となります。
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小川哲太朗 写真集 "THE AMBER"
¥2,000
小川哲汰朗による写真集 ---------- ” 未知のものに魅せられ、生成に対して本質的に敏感な細心な思想だけが詩に接近できる” ガストン・パシュラール「空間の詩学」 ---------- これは、10年間取り続けた写真より選ばれた40枚の写真の連なりである。 これは詩である。 これは生きられた時間である。 これは生きられた空間である。 そして何より物質で、そして写真だ。 サイズA4/40ページ ---------- (跋文より) あの子が書いていたブログが消えたことに気づいたのは、自分がブログを書かなくなってから、少し時間が経ったあとだった。 あの子、と言っているけど、ぼくは彼女と面識もないし、名前も顔も知らない。2011年のある日、自分がたまたまグーグルで検索した言葉の連なりに、たまたま彼女のブログが引っかかり、たまたまそれを見つけただけだった。 そのブログには、援助交際をしていたおじさんを好きになってしまったことととか、高校生にしては少しませている曲を再生しているiPod Classicの写真とか、友達の悪口とか、そういうことが淡々と書かれていた。"誰にも見られていない素振り"なのだろうか」、という妄想も思い浮かばないほどに、ただただ、文章と、iPodの写真が、淡々と上げられていた。 僕が彼女のブログを見なくなったのは、決意の元ではない。なんてことはない、自分が大学三年でサークルに入り、彼女ができ、ゼミが忙しくなってきて、なんとなく、本当になんとなく見なくなって、ある日「たまたま」ブックマークを開いたら404 not foundと表示されていて、「そっか」と思ったのだけ覚えている。 ----- 僕はこの話を何度も何度も書いている。そして書くたびに、己の無力さの中へと落ちていく感覚を覚える。 淡々とした誰かの時間を、自分が作為をもって書くことで、彼女のブログの淡々さを漂白していくような罪悪感。 その感覚を前提として自分が何かを表現することで、「淡々としているということを表そうとしている感」のようなものを自分は出そうとしているのではないか、という自己嫌悪。 これらが自分の周りにぐるぐると巻きつき、身動きが取れないまま沈んでいく感覚があった。 俺が何かを表現する/しよう、と思うときに必ず、「あのブログに俺はなれない」と思ってしまう。そして、自分の表現を始める。往々にして、そのブログの話をしないままに。 そのブログ、そしてそれを見ていた俺の時間、空間を思い出す瞬間は、己を表そうとするときだけだ。その瞬間には必ず、あのブログを見ていた俺の時間が、半自動的に含有されてしまう。 不思議なことに、彼女のブログのことを日常生活の中では思い出すことはないのだ。 —— しかし、胸を張って言えるが、あの時間、あの時間があったあの空間に憧れているときの自分へ向ける感情は、ノスタルジーではない。 おそらく、彼女のブログが生きられていた時間は、空間の中に圧縮されていて、それ自身が流れていくことを拒みんでいる。それが故に、持続したものの琥珀として、俺の中にあるのだ。 俺は、彼女のブログになることは可能だろうか。 可能とも言えるし、不可能とも言える。なぜか。 私たちの生きる世界には、生きられた空間と、時間がある。目の前の、あるいは世界の出来事は、連続していく。出来事は現象する。 それは流れたり淀んだり、引き伸ばされたり断絶されたりしながらも、確実に、あるのだ。 誰かの生きた時間と空間の中で、上で、下で、中で、外で、私たちは生き、それと同時に生きられている。現象的に、生はある。 私たちが死という有限性の中で出会うことができる生きられたものたちは限られている。 だからこそ、琥珀になる「かもしれない」未来の前借りをせずに、私達は今を生き/生きられねばならないのではないだろうか。 私たちの生は、見知らぬ誰かの琥珀になる「かもしれない」。しかし、琥珀になることを目指して生きることは、生きられたものではないと確信しようとして、俺は生きているつもりだ。 その夢想とも妄念のような、自分の中で濁濁と煮えたぎるなにか、つまり”確信(核心)に近づこうとする行為"が、己がなにかを表現する、あるいは、俺が生きる/生きられることへの僅かながらの足がかりになることを、今は願ってやまない。誰の中にも、きっと、琥珀はあるのだ。 小川哲汰朗
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Love people,Love coffee
¥3,000
SOLD OUT
Love people.Love Coffee -私達は逃げる権利がある- このTシャツは、男子重量挙げのウガンダ選手のジュリアス・セチトレコ選手の着ていたTシャツを模したものである。そして、彼に敬意を表するものである。 私達は、苦しいことから逃げる権利がある。逃げ切れることができるか、できないかは問題ではない。逃げようとする、そのことを行うことが、私達にはできる。 オリンピックが行われる前のムードを覚えている。 もしかしたら、覚えていようとしているのかもしれない。あるいは、もう忘れてしまっていて、オリンピックの前の雰囲気、とかかれた書物をいま自分で書こうとしているのかもしれない。 ゆったりと、そして極めてなめらかに、開会式より前に始まっていたオリンピックの中、ひとつのニュースがあったのをおぼえている。 冒頭のセチトレコ選手が、選手村から逃亡した。 五輪のメンバーに選ばれず、「貧しい母国」に帰るのが嫌で、「トヨタがあるから」といった理由で名古屋を目指した、というニュースだった。 逃亡、という言葉にはネガティブなニュアンスが多分に含まれている。そして、多くの人が、セチトレコ選手に憐れみの目を向けたことを覚えている。それが、五輪以前の「ムード」のうちのひとつだ。 しかし同時に、「逃げたい」という気持ちを私は奨励したくなった。なぜなら、私自身、2020年の2月からずっと、「逃げたい」と考えていたからだ。 私は何から逃れたいのだろうか。何から逃げたいのだろうか。 ――――― これはTシャツのイントロダクションとして書いている文章だ。現在2021年9月10日。夏が終わろうとしている。 あなたの今年の夏は、何とともにあっただろうか。 ――――― こんなにも、人々の夏の拠り所が同じだった夏も、そうそうないだろう。そして、拠り所が同じだからといって、人々はそれを明確な思い出として共有できるわけではない。――つまり、拠り所が同じであればあるほど、人々は分裂をする。分断をしていく。 ・この夏、私は、正しくあろうとすることから逃げたかった。 自分のなかの黒さを漂白することを求められているような気持ちになった。 苦しいのに、「俺が」苦しいと言えない感覚があった。自分の苦しさの原因を、世界に求めなければいけないような感覚があった。 自分のなかのどす黒い何かを、正しさという漂白剤に漬けこまないと、言葉にしてはいけないような息苦しさがあった。 ・この夏、私は、連帯することから逃げたかった。 分断の対義語は「団結」でも「繋がり」でもない。連帯せよ、と世界は言う。しかし、連帯のその先にあるものはなんだったのか、1945年に学んだはずではなかったのか。 自分も分裂をした中のひとつなのだ。団結する。その結び目を探したくない。 ・この夏、私は、自分のスタンスを明確にしたくなかった。 オリンピックに関してはきつくあたっているのに、フジロック開催に対してうなっている自分に嫌気が差した。 そして、フジロックの配信を見るのも、自分が引き裂かれるような感覚になった辛かった。 ツイッターを見る。何か大きなものを変えてやろう、あるいは変えなければいけない、変えようとしない人たちへの憎悪が渦巻いていた。毎日何かが、誰かが、非難の対象になっていて、それの元をたどって、苦しくなる。 ――――― このTシャツは、わたし達の同盟のひとつだ。 過ぎていこうとしている夏を架け橋としての、同盟のメディアだ。 わたしたちは対話ができる。 連帯などしなくても良い。もっと対話をして、辛かった夏から逃げ切る権利がある。 なにかに対して、なにも言わなくてもいいのだ。 何かを言っている人に憧れなくてもいいし、そのような人に嫌悪感を抱かなくていいし、距離を取る必要もないのだ。 自分が何かを言おうとする時に、自分のスタンスを明らかにしなくてもいいのだ。相手のスタンスを鑑みなくてもいいのだ。 ――――― ただ一つだけ逃げてはいけないことがある。それは、「確固たる持論」に逃げ込んではいけないということだ。 考え続けること。そして、考えながら逃げ続けること。 朝の一杯のコーヒーを愛するのと同じように、同じ感覚で、人々を愛し続けること。そこからは、絶対に逃げてはいけない。 ――――― この悲しい時間をなるべく早く過去にして、ちゃんと泣ける日が来ることを、今は願ってならない。 もはや使われなくなった言葉を、最後に綴ろう。 「落ち着いたら、コーヒーでも飲みに行こう」 モデル着用サイズ male:172cm/S female:158cm/XL 9/30までの受注生産、その一週間後に発送予定です。
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Canceled Rock Festival 2020 official tee
¥3,000
SOLD OUT
もう私達が出会うことのできない、あらゆるすべての2020年(であったものたち)への供物としてのTシャツ あらゆる過去には未来が逆流しているし、現在という時間はその大きな渦の中心にすぎない。過去から流れきたもの、未来からやってきたもの、それらを集めたのが、「Canceled Rock Festival」である。 存在していかもしれないもうひとつの世界での2020年は、あなたにとって、どんな一年でしたか。あれから1年、それを振り返ってみるのも、案外おもしろいのかもしれません。 model:meguro(https://www.instagram.com/_meguro_/)
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fucktokyotee
¥2,500
SOLD OUT
2020年に東京オリンピックが開催されるということが決まったとき、俺は大学4年生だった。 そしてその年に、俺は卒業論文を出すことができなかった。卒業論文を出す、という行為だけ残して、俺は東京から群馬県は伊勢崎市の実家に帰った。 「自分は東京の人間でなければいけない」という思いを強くもっていたのだろう。 餌を取り上げられた犬のように、伊勢崎にいればいるほど、東京への執着は強くなっていった。 そして同時に、執着している自分への嫌悪感も抱いていた。 たとえ第一志望ではなくても自分の進学した大学のことを好きになれたように、「今いる場所、、周りにいる人間」を愛さなくてはいけないのだ、と、実家のコーギーを撫でながら、ふと思った。 そして生まれて初めてTシャツを作った。 ちょうど前橋で遊び始めた頃で、前橋は遊ぶ場所もなかったんだけど、「自分たちがいる場所が遊ぶ場所だ」という気持ちで、仲間と遊んでいた。そのときの前橋で誰かがシルクスクリーンでTシャツを作っているのをみて、「これなら俺でもできる」と、パンクを聴いたときのような衝撃を受けた。 その衝撃のあと、シルクスクリーンの版を、親に金を借りて注文した。Tシャツのボディも、親に金を借りて注文した。 そして真夏、エアコンのない部屋で昼間からビールを飲みながらスケッチブックに何度もこの図版を描き、フォトショップで何度も修正してできたのが、このTシャツだった。 「fuck tokyo」が「"t"okyo」と小文字なのは、都市としての「Tokyo」ではなく、自分の執着している、個人的な東京に対して中指を立て、現状を愛するための、最大限の表現だと、23歳の俺は思っていた。 結果的にバカ売れした。自分の作ったものがバカ売れしたという経験は初めてだったので、素直に嬉しかった。 そして、俺は30歳になった。 いまでも俺は東京に執着しているのかもしれない。憧れのない執着なのかもしれない、と思っている。それと同時に、誰しもが(大文字の)東京に絶望をしたり、悲観をしたり、冷笑をしたりしている。 でも、大きなものに自分が戦いをいどんでも勝てないことも、知ってしまった。 そんな折に、小文字のtokyoをfuckしてやる、という気持ちが強くなった。2014年に伊勢崎にいた俺が、2021年に江古田にいる俺の横面をぶん殴りにきた感覚が、いきなり強くなった。 なので再販することにしました。 ※完全受注生産です ※2021年8月14日まで受注、その後1週間程度を目安に発送します
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When I was biting a sweet lemon
¥1,000
SOLD OUT
モノクロ44ページ/コンビニ印刷 30部のみ
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#suburbantee
¥2,000
SOLD OUT
地方は退屈なんて嘘だらけだし、郊外は憂鬱なんて学者が与えたイメージだし、別に東京はきらいじゃないけど俺はこの好きでも嫌いでもない場所で生きていくんだよ。というサバーバンボーイズアンドガールズも、都会に出てきて地元の郊外から切り離されたようなアーバンライフに嘘くささと後ろめたさを感じてるシティボーイズアンドガールズも、suburban Tシャツで今年だけの夏を。 ※8/17までの受注、その後に発送となるのでお時間少々いただきます ※手刷りのため原則としてサイズやカラー違い以外の返品は承っておりません、予めご了承ください。 ※ご注文より一週間以内のお振込みをお願いしております。 ※ご注文の際は必ずご希望サイズを明記ください。 size 着丈 身幅 S 68cm 45cm M 71cm 50cm L 73cm 57cm XL 77cm 60cm モデル着用サイズ:L
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#chillthefuckoutee
¥2,000
SOLD OUT
今年だけの夏、chill the fuck out Tシャツでクソ最高なChill Outを。 ボディはHanesのBeefyTを使用。着れば着るほど体に馴染む、少し厚手の6.1ozTシャツで残暑も秋でもチルアウト可能に。マストバイ。 ※8/17までの受注、その後に発送となるのでお時間少々いただきます ※手刷りのため原則としてサイズやカラー違い以外の返品は承っておりません、予めご了承ください。 ※ご注文より一週間以内のお振込みをお願いしております。 ※ご注文の際は必ずご希望サイズを明記ください。 size 着丈 身幅 S 68cm 45cm M 71cm 50cm L 73cm 57cm XL 77cm 60cm モデル着用サイズ:M
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気立てが良いから話してて楽しい
¥500
SOLD OUT
二木しおり(@malmelko)との共同作成したZINEになります。面白いです。フルカラー/上質紙23P
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Tokyo/Nowhere #LANDMARK
¥300
SOLD OUT
東京のランドマークの写真をまとめたZINEです。 ・コピー紙 ・A5サイズ ・モノクロ印刷 ・18p 送料込みです。